子育てについて

子どものために、大人がしてあげること

 初めての子供が授かり、幸せの絶頂が訪れる。

 メデイアに潜在的に植え付けられた美しい育児生活に憧れて、

 柔らかで綺麗な育児に専念し、

 決して声を荒げることなく、穏やかな日々を過ごすことを美徳とする。

 目に入るもの、聞こえるもの、触れるもの、匂いや味、

 経験するものすべてを吸収し、成長する姿に一喜一憂する、乳幼児期。


成長していくにつれ、

ネットやテレビ、SNSで情報を得る機会が増え、

偏っているかもしれない、

真実かどうかもわからない、

ごく一部の綺麗な部分だけをピックアップし、裏面にある苦労やドロドロとしたところを伝えていないかもしれない

このような情報をメデイアで見ただけで、全てを知っている気になったり、経験した気になっていく。
ひどい場合は、自分の本質を持たずメデイアに洗脳されていく。

 

だからこそ、

真実かどうかわからない情報に脳が侵される前の幼児・児童のうちにいろんなことを経験させておかなければいけない。

経験とは芋掘りとか遠足とかの行事、いろんな習い事という意味ではない。

基本的な生活の中で、

・褒められ、叱られ
・本気で喧嘩したり
・すごい痛い思いしたり
・好きになったりなられたり
・物をもらったり取られたり
・コソコソ悪いことをして見つかったり
・100点取ったり6点しか取れなかったり
・担任が大好きだったりろくでもなかったり
・目標に向かってがむしゃらになったり挫折したり

・・・全部書き出してたら円周率ぐらいキリがない・・・

とにかくいろんなことを経験してほしい。

 

その中で何がカッコよくてカッコ悪いのか、魅力的であるのかないのか。

それをちゃんと教えれる大人がそばにいて磨きをかけてあげる。

メデイアに振り回されることなく、自分の考えをちゃんと持つには、

このようにいろんな体験をするか、

夢を持ちその夢のために一切妥協のない努力を積み重ねるか、

とにかくバーチャルでない経験値を積み上げていかないといけない。

 

子供たちに、その環境を作ってあげるのが、

私たち大人の義務であり仕事だと思う。

子供たちにストレスのない快適な環境を与えるのでもなく、

金儲けだけのために子供たちの脳に快楽だけを与えるアイテムを過剰に開発することでもない。

 

国の借金を減らすとか、

役人の不正がどうのだとか、

予算の争奪のための意味のない事業とか、

保育所が足りてないからということで子どもにとって何が大事なのか本質を考える機会を設けることなく進められる計画だとか、

そんなことより、

もっと一人一人が強い意志を持って、

そしてこの日本を支えて行ってくれる、

そんな人をどのようにして育て上げてあげればいいのかを考えるべきだと思うんです。

ほんとに子どもたちの将来を考えるなら、

マイナスを埋める政治・行政ではなく、

プラスを作り出す「人」を育てることを考えるべきだと思います。

 

プリモは、パパ・ママだけでは与えきれない経験値を、

プリモにいるたくさんの兄弟と共に積み上げる。そういう場であるよう努めています!

 

PRIMO 園長

「愛」 ≠ 「尽くす」

前回は「」について話しましたが、

ここで、間違えてはいけないのは、=尽くす」ではないということ。

尽くす」というのは自分のエゴである場合が多いと思う。

 

自分の子供に沢山いろんなことをしてあげたのに、感謝の気持ちがないとか、

反抗されてしまう(反抗期は含まない)ということがある。

それは、親自身のエゴだった可能性が高いです。

だから子供には響かなかったのでしょう。

結局、自分本位なのです。

 

例えば、

子供の喜ぶ顔が見たいから(もちろんダメなことではないが頻度が問題)、

物を欲しがりグズグズ言って邪魔臭いから、という理由だけで

物をたくさん買い与えるのは親のエゴ。

 

」は、相手のことをたくさんの時間を割いて考えること。

たくさん考えているうちに、今現在が可愛くて可愛くて仕方がないという思いだけでなく、

将来のことも気になってくる。

 

どのように育てれば、

壁にぶち当たっても乗り越える立派に成人するだろうか、この子が素敵な人生を歩めるだろうか

欲しい物を買い与えてばかりいて、その子にとってそれが良いことなのか?

ガマンを強いることなく楽な方ばかりを選択させていていいのか?

厳しく叱ることなく優しく接してばかりでいいのか?

怪我はさせたくないからと危ないことは全て避けさせていていいのか?

お手伝いもさせず何もかも親がやってしまう状況でいいのか?

規則も、ストレスもない環境だけで育てていていいのか?

便利なものを与え過ぎていて工夫を知らないままでいいのか?

子ども自らが目標を設定することない習い事に通わすことに意味があるのか?

常にその子の今だけでなく将来のことを思い接してあげれば必ず素敵な人生が歩める大人へと成長する。

そのために大人は何をしてあげるべきなのか。

 

未成年のいろんな事件や、

成人してからの身勝手な行動

就職しても仕事が続かない・頑張れない・叱咤による萎縮など、

」を持って育てられなかったことが要因となることが多いのではないだろうか。。。

本当の「」がある育児・しつけ・教育がそれらを解決してくれると思います。

 

PRIMO 園長

保育・育児に必要なもの、「愛」

保育・教育・育児において必要なものは、やっぱりですよね。

そんなのはあたり前。誰でもをもって子供と接していると思っていますよね。

でも、「愛」って抽象的すぎて、ほんとに「愛」がある状態なのか、そうじゃないのか明確に説明できません。

恋愛でもいっしょで、愛してるはずなのに「愛が感じられない」って言われちゃうことがあります。

そこのところを具体的に述べてみたいと思います。

「愛がある」状態とは。。。

対象となるもののことを、好意をもっていっぱい考えている状態
自分の子供のことは大好きでいつも考えてるでしょ?
それが愛がいっぱいの状態

——— では、保育にたずさわっている人はどうでしょうか?

  1. 子供が好きで仕事の一環として園児と接していているが、保育はあくまで仕事であると割り切っている人。
  2. 子供たちのためにいっぱいやりたいことがあるが、組織の中にあって上の者の目を気にしないといけない人。
  3. いつでもどこでもプライベートでも園児のことを考えていて、たくさんのことを子供たちに与えることができる環境にいる人。

③の場合、他と比べて子供からの信頼度が違う。
なつく・なつかない、ではなく、信頼度です。
信頼があれば、子供たちに与える影響力も大きくなる。
いっぱいいろんなことを教えてあげて、教えてもらってる子たちは信頼ある人だからいっぱい吸収しようとする。

子供はすぐ見抜いちゃうんですよ。大人と違って考えることが少ないから感性豊かなんです。

すっごく優しく接しているスタッフでもぜんぜん子供から信頼されない人、それは上っ面の愛情もどきでは子供は騙せないんです。

——— 保育・教育だけでなく習い事でも

・指導している人が、自分のメンツのために子供たちのレベルを上げようとしているか、

・自分のことはさて置き、純粋に教えている子供たちにとって何が最善なのかを考えている指導者なのかでは、

子供たちにとっての最終的な到達点は大きく違う。
そして、後者の場合は、子供たちのその後の人生にも多大な良い影響を与えることとなる。
高い到達点を経験した者は、常に自信を持って生きていくことができる。

日本大学の悪質タックル問題もそう。

コーチに愛がなかったとは断言できないが、不足していたんだと思う。もしくは、もともとあった愛がなんらかの要因で崩れていったのかもしれない。

指導者に愛が欠落すると悲しい結末が訪れることもある。。。

人は人が育てる。

乳幼児を育てるのは、玩具でもDVDでも設備でも可愛い洋服でも英才教育のための教材でもありません。

それらを使って子供たちと接する「」が重要なんです。

そこに「」があるか、それが一番重要なんです。

 

PRIMO 園長

プリモ流子育て「チャレンジ」

今年のプリモの運動会、年長さん(と、一人だけ年中さん)はバク転に挑戦してみました。
本番3週間前になって、園長が突然「やってみるか」と言い出したのです。みごと本番では補助ありではありますがなんとか完成しました。パパママからすごいと言ってもらえてみんな誇らしげです。

今回のバク転、子供達にとって、また1つ努力して成し遂げたという経験値をアップさせました。

運動会の練習で華激団(3歳〜5歳児)が技を簡単にこなしていく姿を見て、さらに高度なことにチャレンジさせなくては…年長さんは倒立がキレイにできているからバク転でもさせてみるかと思い立ったのです。たった3週間しかなく、練習時間もあまり取れなかったけど、子供達は何度もトライして頑張ってみごと本番で見せれるまでなりました。

ここで、このブログを見ている方々に感じてもらいたいのは、「この保育園はバク転まで教えてくれるんだ。すごいなぁ」ではなく、子供たちに、いろんなことにチャレンジさせてくれる園なんだということです。

ちょっと難しいことにチャレンジする「やってみたい」を育てたいと思ってます。その次に努力する、そして成し遂げる。とても嬉しいことです。そしたら、また次のことにチャレンジしたくなる。これを繰り返すことが必要なんです。でも、すべての子が同じ時期に同じようには考えません。また、チャレンジさせるべきことも、その子の能力や考え方で変わってきます。

週に一回の短時間の習い事や、先生1人対園児30人の幼稚園では、それぞれの子に違う対応をすることは不可能です。

少人数制のこの園だからそれが可能なんです。

また、この運動会に向けて3〜5歳児が倒立の練習をしているのを見て2歳児も、やりたいと思った子はどんどん練習しています。上の子が難しいことにチャレンジすればするほど、下の子のレベルも上がってきます。そして、どんどんいろんなことにチャレンジする機会が増えてきます。私の中で「レベルを上げる」という事は、子どもたちにとって「目標を達成する」という工程の一部ではありますが、「最終的な目的」ではありません。

まずは、やってみたいと思うこと。そのアイテムをいっぱい与えてあげることが私たちの使命だと思ってます。

子供たちにとっては、おもちゃや、快適な環境を与えてあげることよりも大事なことだと思ってます。

安全性を重要視し過ぎると、チャレンジするアイテムはどんどん減ってきます。かわいい我が子に怪我はして欲しくない。私も2児の父なのでその気持ちはよくわかりますし、様々な考え方やレベルを持つ保育士・幼児・保護者が属する保育所で「経験・体験」より「安全」を優先しマニュアル化されるのは当然のことです。

でも、怪我をせずに大きくなることの方が危険なんです。いろんな経験をするから危険予知能力も研ぎ澄まされていくんです。

いろんなことにチャレンジして失敗して、ケンカもして怒られて、それらをいっぱい経験して立派な大人になっていくんだと思います。これを大規模な保育所では行うのは難しいことです。ちっぽけな認可外保育所だからこそ可能なんだと思います。

そして必要なものは保育者の経験値です。いろんなことを経験してきた者でないと子どもにいろんなことを教えてあげることはできません。幼児教材や習い事は、ただのアイテムでしかありません。それらを使って教える指導者が子どもたちを育てるんです。

「たくましく育ってほしい」・・・昭和的考えだと言われるかも知れませんが、「社会」で生きる「ヒト」にとって、本質的なところに流行り廃りはありません。

プリモを巣立って行った子どもたちが、幸せで悔いのない人生が送れるように・・・日々、それだけを思い保育しています。

 

プリモのやり方こそが[正解]だとは思っていません。
世の中、いろんな考え方を持った人が生活しています。だから難しくて面白いんです。それでいいと思います。
ですが、子どもたちが学生になった時にやらなきゃいけないことをしっかりやるために、そして立派に自立できる大人になるために、幼児のうちにやっておかなければならないこと…それを考えた上で、今のプリモ流があります。

今後、このブログで「しつけ」や「教育」など、園長の自論を語っていきたいと思います。
なるほどなぁ〜、と思った方は乞うご期待下さい。

 

PRIMO 園長